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「審判で目指すJリーグ出場」 卒業生インタビュー 清田 将矢さん その1

2021.11.11.THU

清田 将矢さん(サッカー2級審判員/京都校・京都南校卒業生)
過去の所属チーム:醍醐SSS、ガンバ大阪門真Jr.ユース、京都橘高校

現在、Jリーグの試合も担当できる1級審判を目指して活動中

【ご参考】
審判制度概要
*出典:日本サッカー協会WEBサイト

クーバーのスクールに入ったきっかけは父親のすすめから

幼稚園から小学校卒業まで、たのしく続けました。チームに所属したのは高学年からなんです。それまではスクールのみでサッカーをしていました。

スクールでは(普段、交流できない)他の小学校やチームの人とプレーできることがうれしかったですし、何よりコーチのことが大好きでした。コーチが所属するサッカーやフットサルチームの試合を家族で応援に行ったこともありました。懐かしいです。

サマーキャンプにも毎年参加していました。他のスクールのコーチと、かかわりを持てたことも財産になっています。

サマーキャンプに参加したときの様子(写真提供:オールスポーツコミュニティ)

「コーチがふく笛の音」を聞いて審判に興味が湧いた!?

小学生の頃、もちろん夢はプロ選手でした。一生懸命ボールマスタリーを行い、少しでもうまくなれるようにトレーニングをする傍ら、僕はコーチの身につけている物に非常に興味を持っていました。

コーチたちはアディダスのユニフォーム、ジャージ、シューズで揃え、すごくカッコよく見えたんです。僕もアディダスが必然的に好きになっていました。さらには笛も、笛のストラップも、時計までもアディダスのを使っているコーチが多いことにある日、気づきました。

Aコーチの笛は〇〇でストラップは首からかけるタイプだ。

アシスタントのBコーチは指に着用するストラップを使っている。

と興味が大きくなりました。

スクールでは隣のコートでも練習をしているので笛の音を聞き分けないと勘違いが起こる

今日のコーチの笛は××だから高い音が鳴るぞ

などと、笛の音色にまで注意がいっていたのを覚えています。マニアックな子どもですよね……(笑)

僕の審判に対する興味が、ここからスタートしました。

中学1年生になって4級審判の資格を取りました。プレーは続けていましたが、この時点で審判を目指す気持ちは固まっていました。

高校でも、選手と審判を両立していました。3級審判資格を取得。ユース審判という制度を通して、小学生の全国のトレセン大会の審判員を務める貴重な経験ができました。

大学生になり審判の2級資格を取得しました。

審判が集う合宿に参加した際もクーバーの話がよく上がります。
「(自分は)〇〇校に通っていた」
「担当のコーチは誰だった」
「あ、そのコーチ知っている!」

同じスクールに通っていたことで親近感もわいてきます。これもクーバーが繋いでくれた縁だなと感じます。

審判をする醍醐味や喜び

試合中は文句を言われることが多くあります。でも、それは選手も必死にプレーしている中のことなので仕方ないし、人間なのでミスジャッジもあります。それでも選手とコミュニケーションをとりながら試合をしっかりとコントロールすることが大事だと思います。

試合後に両チームの選手たちがすがすがしい態度をとっているとき(ラグビーでいうノーサイド的な感じ)は、自分がうまく試合をコントロールできた表れなので非常にうれしいです。

自分が選手としてはプレーできなかったカテゴリーの選手(大学生や社会人など)と同じピッチにいることも喜びの一つです。

最近、コーチがプレーするチームの試合の審判をすることがありました。すごく変な感じがしますが、一緒のコートで活動できることは何にも代えがたいです。

審判と選手。立場は違いますが、同じピッチでサッカーに関われています。プロ選手にはなれなかったけど、小学生の頃に興味をもって、ずっと取り組んできた審判でJリーグのピッチに立つことを夢見て、今は1級審判を目指し、日々努力しています。

(その2につづく)

(その2)につづく