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【高校サッカー選手権出場校に所属するクーバー出身選手/第一回】三宅凌太郎選手(帝京長岡)

2020.12.21.MON

第99回全国高等学校サッカー選手権大会が2020年12月31日〜2021年1月11日まで開催されます。だれもがあこがれるこの舞台に立とうとしているクーバー出身選手とスクール生時代に教えたコーチとの対談を記事にしました。

第一回目は三宅凌太郎選手(新潟県代表・帝京長岡高等学校)と寺尾厚志コーチ(中国・上海校スクールマスター)です。

三宅凌太郎選手
寺尾厚志コーチ

ーークーバーを始めたのはいつ?

小学1年生のとき、父のしごとの都合で、上海に引っ越すことになりました。クーバーをはじめたのも現地に行ったばかりのときです。
ちょうど上海校(旧上海世紀公園校)が開校するのと同時期に凌太郎が来てくれたのをおぼえています。日本に戻る小学6年生まで続けてくれました。
三宅選手がスクール加入した当時の写真

ーーたのしかった練習メニューは?

だれがゴールラインのうえにボールを止めることができるかを競う練習がありました。止められなくても、一番近くにボールを蹴ることができた人が勝ちみたいなのが、すごく印象に残っています。
練習のあいまにファンゲームとして、よくやっていました。単純なのですが、キックの正確性や、蹴ったときのフィーリングとかの繊細さが求められるんですよね。
寺尾コーチの隣(向かって右側)が三宅選手

ーークーバーでやった練習で、いまでも役に立っていることは?

ボールマスタリーのトレーニングをたくさんやったことで、足もとの技術が多少、身についたかなと思います。
いまはセンターバック、中学のときはボランチをやっていました。
ポジション柄、相手を突破するプレーとかはしませんが、スペースに運ぶドリブルだったり、ボールを止める・蹴るという基本をたかめることができました。
タッチがいいと、自然とボールから目を離してプレーできるようになりますもんね。凌太郎は小学生のころ、どちらかというとテクニシャンでしたよね。
そうですね。じつは点取り屋でした(笑)
そういえば、現地の日本人団体が開いたトーナメント大会で、たくさん点をとっていましたね。個人が決めた得点数が発表されるんですよね。
「三宅選手33点!」と。

ーースクール生時代、寺尾コーチから言われて印象に残っていることは?

具体的に何を言われたかは覚えていないですが……練習中、寺尾コーチがたくさん声をかけてくれました。
グラウンド利用の関係で、学年の離れた子といっしょのクラスでやらなければいけないときもありました。いろいろな国から来た子とプレーする機会も、日本に比べて多かったです。
多様性が求められていました。上海校の独特なところです。
周囲との関係で、うまくいかずイライラしている様子が見られたら「平常心でやろうね」と声をかけていました。技術は高かったので、「利き足でないほうでもできているか」とか、メンタルを自分でコントロールする大切さや、気持ちの切り替えの部分とかをよく話していました。

ーー高校サッカーをやっていて良かったことは?

まだまだですが、人への気遣いを学べていることと、人間性を磨けていることです。
仲間がひとりで重そうな荷物を持っていたら、いっしょに運んだり、ささいなことに気づくことができるようになりました。
中学のときまでは、割と自由にやっていました。
けど、高校生になって、いろんな意味できびしくなってきました。チームスタッフの方々は、ひとりの大人として向き合ってくれます。電話のかけ方だったり、ごはんの食べ方だったりを注意されながら身につけていっています。

ーー後輩のスクール生にアドバイスをお願いします。

周りの人のアドバイスや話を素直に受け入れることが大事だと思っています。
小学高学年や中学になると、反抗期ってだれにでもあります。プレーに関して、人から言われて、ときに受入れられないこともあるでしょう。注意されるのは嫌なものです。
けど、自分が成長するために、言ってくれていることなんですよね。人の意見を受け入れ、吸収しないと自分を高められません。
だから、いま自分は周りの人とよくコミュニケーションをとるようにしています。
人間関係を築けていると、「自分のために言ってくれているんだなあ」と素直に受け入れることができるようになるんですよ。

ーー選手権での目標は?

チームとしては日本一を目指して戦います!

応援しよう!

三宅選手の所属する帝京長岡高校は第二回戦から登場します。

2021年1月2日@ゼットエーオリプリスタジアム
vs 履正社(14時10分キックオフ)