COACH

元プロサッカー選手・堂安 憂さん「コーチはじめました」

2020.12.25.FRI

堂安 憂さんはサッカー日本代表やヨーロッパでも活躍する弟の律さんと、5つ歳の離れたお兄さんともに尼崎校の生徒でした。選手生活に区切りをつけ、ことし11月から、出身の尼崎校でサッカーコーチとしてのキャリアをスタートしました。堂安 憂さんにコーチをはじめた経緯やスクール生時代のこと、現スクール生へのアドバイスを聞きました。

オンラインインタビューの様子

堂安 憂さんのご紹介
幼児 兄が所属するチームでサッカーを始める
小学 チームに所属しながらクーバー・コーチング尼崎校に6年間通う
中学 セレッソ大阪U15
高校 創造学園高校 インターハイ・全国高校選手権に出場
大学 びわこ成蹊スポーツ大学
プロ AC長野パルセイロ

「一番うまくなったのがクーバーだった」

きょうだい3人とも、この実体験をもっています。
「コーチになりたい」と家族に話をしたとき、「クーバーに行った方がいい」と全員が一致しました。
「クーバーでお世話になりたい。勉強をしたい」という気持ちが高まり、すぐに鈴木 大人コーチ(同校スクールマスター)に相談にいきました。

もともとコーチに興味があったのも事実です。大学生のときから「高校でサッカー教えたいなあ」と思っていました。選手を引退したら、指導者を目指すのが自然な流れでしたね。

もちろん指導中、戸惑うこともあります。
子どもに練習のルール説明をしたとき、「こうやったらわかるだろう」と、ゆっくりやって見せたことがありました。けど、伝わっていないことがあって「どうすればいいのだろう?」と。

反対に、子どもに「こういうことか」と言ってもらえたときや、「コーチ」と言い寄ってきてくれるときはうれしいです。いま、たのしみながら取り組めている感じです。

スクール生時代のこと

クーバーには、兄がもともとはっていて、僕は小学1年生からはじめました。当時、人見知りが激しく、なかなか馴染めなかった記憶があります。

鈴木コーチがたくさん話しかけてくれたり、仲のいい友だちができ始めたりしたことで、だんだんと自分からしゃべりかけることができるようになりました。自信がついてきて、人見知りを解消することができました。

鈴木コーチ(左端)の隣がスクール生時代の憂さん、右端は前田コーチ

一番たのしかったトレーニング

毎月末のゲームデーですね。
コーチと対戦したとき、本気でボールを取りに来てくれました。「コーチを抜き去ってやりたい」という気持ちでプレーしていたことを覚えています。その挑戦じたいにたのしさもあり、とられると悔しさもありました。

クーバーで習ったテクニックはプロになっても効果的だった

すべてがためになっていると思っています。
サッカーは、状況にあわせてプレーを組み合わせることが鍵です。ボールを持ち、ディフェンダーがプレッシャーをかけてくる局面では、シザーズしてから、ダブルタッチをするとか、習ったことを自分のタイミングで使っていました。「どのテクニックを使おうかなあ」って選択肢を5、6つ持ってプレーできていましたから。

とくに効果的だったのはプロ選手を相手にしたときです。
たとえば左サイドハーフで、タッチライン際でドリブルしているとき、シザーズを2回入れて自分の間合いとリズムでボールを持ったり、右に行くサイドステップのフェイントを入れたりしていました。プロ選手のほうが反応もからだの動きも速いので、シンプルなフェイントにひっかかり、かえって突破しやすいこともあります。

これからの目標

立派な指導者になるには、たくさんの知識をもっていないといけません。クーバーでコーチをしながら、学んでいきたいと思います。まずは、目の前のこと(スクールでの指導)をがんばっていきたいです。

スクール生へのアドバイス

だれよりも練習しましょう。
これ、小学生のとき、鈴木コーチからも言われていたことなんです。「スクールで1時間ちょっと、フェイントの練習をして、完璧にマスターできるわけではない」と。

帰ったあとも、自分で練習するからこそ、身についていくものです。

だれよりもやれば、みながプロ選手になれるわけではありません。
けど、だれよりもやらなければ道は開けないでしょう。
スクールで学んだことをたのしみながら、次の日も、続けて練習してほしいです。

だれよりも練習していた弟・堂安 律選手

それこそ彼は、だれよりも、練習していました。
「よる、おそいからやめときや」と親から言われてもやっていました。

普段はどこにでもいる男の子とかわらないのですが、サッカーになったときの負けず嫌いさはすごかったです。
練習試合でも負ければ泣いていましたし、自分が抜けなかった相手がいたら、試合おわってから、ひたすらドリブルの練習。
パスミスしたら、「ついてきて」と公園で練習に付き合わさせられたこともありました。
その日にできなかったことばかりやっていましたね。

鈴木コーチ:律選手の負けず嫌いエピソード

律選手が小学4年生のとき、セレッソ大阪のアカデミー入団テストに受からなかったことがありました。それから反骨心でがんばったのでしょうね。小6になり、セレッソからオファーがきたとき、「行きません」と即答し、ガンバに行ったそうです。
いままでスクールでたくさんの選手を教えてきました。だれがプロになるかなんて、わかりません。けど、律選手は特別でした。小4のとき「この子はきっとプロに行くだろう」と、私は周りのコーチに言っていたぐらいです。体格がよく、強い。ケガをするタイプでもなかったです。前段の負けず嫌いなエピソードからもわかるとおり、放課後に外遊びするときは、決まって仲間とサッカーでした。
左:前田剛コーチ/中央:堂安 憂コーチ/右:鈴木大人コーチ